自己紹介

2019年8月3日

オレ流!脱サラリーマン宣言ブログにお越しいただきありがとうございます。
本ブログは脱サラを目指して試行錯誤を徒然に綴る日記的なブログです。

雨宮康輝といいます

house

82年生まれの42歳 妻・子供3人おります。
現在某大手子会社の情報通信系の会社で働いています。

現状ある程度安定した生活をしつつも、7年前に建てた家のローンと子供の教育費にアップアップしながら毎月赤字を垂れ流しつつ、ボーナスで補填して生活をしています。

実は一度脱サラをめざして、スポーツチームで知り合った人とちょっとした事業を始めましたが、盛大にやらかし、今も借金があります。この辺りは後ほど。

まずは簡単に現在までの自己紹介をさせていただきます。

某大学院の情報系専攻の修了後、上京、ソフトウェア会社に就職

大学選択では機械系と情報系で進路を迷いましたが、今後の成長を見越して情報系に。
その後就職氷河期とリーマンショックの谷間で運よく大手子会社のソフト開発子会社に就職。それを機に上京となりました。

パワハラ

しかし、初めて就職した会社の上司が私の歴史史上、最悪のパワハラ課長だったのです。。。
他者否定、 ダブルバインド、高圧的な言動。暴力こそありませんでしたが、大学卒業したばかりの知識と私のメンタルでは耐えられるわけもなくボロボロ。ストレスで初めて顔面麻痺起こしました。歯医者で麻酔打った後の頬膨らませても空気抜けるあんな感じ。ストレス怖い。

会社を辞めることを決意、しかし・・・

辞表

そんな状況で先も見えないことから会社を辞め、地元に戻ることを決意。しかし、運よく所属している会社で、地元に近い愛知で人員の空きがあってそこに滑り込むことに。東京へ就職して5年後に地元に戻ることができました。

その後は縁に恵まれ、結婚、さらに同列子会社転籍で職場も変わり上司にも恵まれました。ただ、東京時代にサラリーマンとして働くことに疑問を感じていたことは、職場が変わっても変わりませんでした。

事業を始めてみました

起業

地元に戻り、草野球チームに入っていた私は、そこで知り合ったA氏と一緒に事業を始めることにしました。事業内容としては企業に対して作成した映像を提供し、月額サービスとして報酬を得る方式でした。売り切りではなく、毎月定額の報酬を得られることや引き続きリピートを得やすいということで、ある程度見通しもありました。A氏は営業兼映像制作担当、私はシステム担当として主にyoutubeを主軸とした事業展開を行っていました。
A氏はスキルもあり、人脈形成も非常に優秀でした。

兼業であることの難しさ

失敗

最終的に起こした事業は自身の借金として終わりました。現在残っている借金と失ったお金合わせて1000万ほど…。なぜそのようなことになったか。一言でいえばその事業に対して責任を持てていなかったから。

兼業ゆえに運営はA氏にまかせっきり。事業の方針や内容については話し合いをして決めていましたが、見えていない部分が多く、発生している問題に気が付いていませんでした。正確に言えば、問題に気が付いていながらも言葉巧みに言いくるめられ任せてしまい、自分のコントロールの範疇を超えてしまっていたのです。

A氏は非常に人脈形成がうまく、いつも多くの人の中心となっていたため、信じてしまっていたという部分があります。このA氏について何がまずいかというと、お金の見通しが甘く、また他者の痛みに鈍感であるということ。お金を借りても返さない。約束事は反故にする。圧倒的に責任感が無いのです。マインドは詐欺師です。

責任感のない人間と、責任を持つことを放棄してしまった人間。では誰が事業に責任を持つのでしょう?事業がうまくいかないのも当然の帰結と言えます。

借金が大きく膨らんだ理由は従業員の雇用です。元々自分たちのできる範疇で、自分たちのスキルや無料のサービスを結び付けて低リスクの事業として当初は始めました。しかし、A氏がどうしても1人一緒に動く人がほしいということで、私も動けないことに対する後ろめたさからOKを出してしまいました。

そうなるともうタガが外れて、いつの間にか気が付けば従業員は 5人に増えていました。しかも雇った従業員には大したスキルもなく、出費だけが増えていくことになります。

失敗した事業の後始末

後始末

幸いにもお金の借入先は地銀であったため、借金はそれ以上膨らむこともなく処理をすることができました。A氏は自分でお金を支払うこともなく、借金だけ押し付けて連絡が取れなくなりました。

当時A氏に対してできるだけの対応はしました。公正証書の作成、普通裁判訴訟、強制執行、担保物件の競売金の分配受け取り。すべて司法書士を雇わず自分でやりました。結局回収できたのは200万弱でした。

この失敗で多くのお金と時間を失いましたが、いろいろ多くを学びました。地方ではまだまだ情報化がそれほど進んではなく、ビジネスの入り込む先はまだまだあると思っています。

そしてこれから

今このブログをスタートした時点で37歳。何をするにしても遅すぎるということはありませんが、何かを始める時の潮目はいくつかあるような気がしています。

なんといっても一番は学生時代だと思います。多少のお金とまとまった時間を作れることと、失敗したときのリスクは一番小さいと考えています。ただ、経験が少ないことから中々道筋を立てるのは難しいかもしれません。

次に30歳前後。貯えがある程度溜まり、社会人としての経験も得られて色んな道が見えてくるころだと思います。

そしていま私が直面している40歳手前。40歳前での転職というと中々難しいイメージはありますが、起業となると一番成功しやすいのではないかと考えています。
理由としてはスキルや経験は当然それまでにある程度揃えておく必要はあると思いますが、一番"信用“されやすい年代だと考えています。この “信用" は非常に大切で、対面でやり取りする場合は特に重要になるものだと思っています。

ただ、事業を成功させるにあたって最低限守らなければならないことがあります。それは始めた事業に対して責任を持つこと、軌道に乗るまでは自分のコントロールの範囲で進めることです。これができていないと私のようになります。

それを胸に刻んで、1つに絞って進めるのではなく、いくつか並行して進めたいと考えています。

  1. アフィリエイトでの収入源の確保
  2. 株式でのインカムゲインの確立
  3. 情報企画・コンサルタント業

マイルストーンとして40歳で中小企業診断士と行政書士を目指そうと考えています。

根気はあっても腰の重さが悲しいレベルなので、いかに継続していけるか、目標に向かって進めるかがカギになってきます。意志薄弱な私が続けていくための方法についてもいろいろ考えたいと思います。

まずは40歳までに中小企業診断士頑張ります。

ということで目標に向かってLet’s challenge!

進捗は随時公開していくつもりです。よろしくお願いします!

私の現在のスキルはこちら

ブログ開始からの進捗状況

Posted by 雨宮 康輝